「砺波」の地名の由来は山田川か(南砺市利波河、井口)

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「砺波」の地名の由来ではないかと思っている南砺市利波河、井口に来てみた。

"ナミ"は北陸縄文語での「川」という意味ではないかと思っている。

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奈良時代(東大寺領荘園時代)の地名の多くは現代まで残っていない。

江戸時代の加賀藩によって管理される前(安土・桃山時代以前)、
管理する側の気分次第で、集落の呼び名や地名は簡単に変わったと思う。

(戸出の場合、江戸時代初期に "灯油田"→"戸出"と変わった。)

また、地元で田んぼや畑をやっている地元民にとっては
地名というものはそれほど重要ではない場合が多かったと思う。


まして、縄文人と弥生人が併存していたであろう
西暦3-4世紀頃の地名なんて全く想像もできないぞ!という考え方も理解はできる。


が、「砺波」という地名は奈良時代には既に存在していた地名である。

奈良時代、"トナミ"には「利波」という漢字が当てられていたが、
江戸時代に入って加賀藩藩祖の前田利家公に憚って
「利波」→「礪波(砺波)」という字に変更された。


砺波地方には、弥生時代の遺跡がほぼ存在せず、
弥生人がほとんど入っていなかったと考えられている。

稲作文化を持つ人たちが入ってきて開墾し始めたのは古墳時代になってからである。

古墳時代の地名が奈良時代に継承されてもおかしくはない。
(むしろ自然)


遺跡の分布状況から推測できることは、
3世紀の富山県西部では、現在の氷見市や、小矢部川・庄川の河口部付近から
少しずつ稲作文化を持った弥生人が広がりつつあり、
砺波地方には、依然、縄文人の集落は各地に存在していた。

だから縄文由来の地名が今に残っているのだと思う。


# AD3世紀頃の縄文遺跡がないじゃないか、という考える人もいるかもしれない。
# が、遺跡の多くは火山の噴火、洪水、戦いなどで集落が放棄されると「遺跡」となる。
# AD3世紀頃の砺波地方では大きな災害がなかったので遺跡は見つかっていないのかもしれない。
#
# 遺跡は道路や新幹線、大規模住宅開発などが行われる際によく見つかる。
# 砺波地方の3世紀の遺跡はまだ見つかっていないだけかもしれない。


稲作文化の人たち(川沿い等に居住)と、
縄文文化を継承する人々(主に山あいに居住)の併存期間は、
数百年間あるのでは、と思う。

理由は、東北地方や北海道などでもそうだったから。

縄文文化を継承する人々は数百年かけて徐々に吸収されていった、と思う。


井波、薮波、荊波、江波[高波]、など、"ナミ"とつく地名は砺波地方に多い。
これは北陸縄文語での「川」という意味、だと思う。

また、富山県には他の謎地名の接尾語(?)として"ベ"がある。
(小矢部、黒部など)


北陸縄文語の"ナミ"は、北海道アイヌ語の"ナィ"に対応し、
北陸縄文語の"ベ"は、北海道アイヌ語の"ペッ"に対応すると思う。

北海道や東北地方でも「別」「内」のつく地名が多いのと同じ理由で、
富山県の、弥生人(AD3世紀)の進出がなかった地域でも「部」「波」の地名が多いのだ。

# これを否定する人は単に非科学的だと思う。
#
# 近年の縄文人人骨の遺伝子、骨格解析から、北海道~北陸地方は
# 同じ人種(北方系縄文人)が暮らしていたことがわかっている。
#
# そして北方系縄文人と蝦夷、エミシ、アイヌは同系統であることもわかっている。
#
# (以下は推測)
# 「神」「骨」「手」などの基本単語は1700年間変わらず
# 北海道で継承されてきたことから推察すると、
# 北陸縄文人たちも、「人間」を意味する「アイヌ」を自称していたと考えられる。


ということで、"トナミ"(川の名前)=現在の山田川、かもしれない。

理由は、南砺市利波河(とのご)のそばに山田川が流れているから。

川の反対岸には縄文後期の遺跡「井口遺跡」もある。

山田川に対してすごい高台になっている上広安神明社や井口遺跡、井口郷総社神明宮のあたりに、
トナミと呼ばれる主要な集落があったのかもしれない。(AD3-4世紀頃)


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(南砺市上広安神明社からの眺め、すごい崖になっている。)

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語源は、普通に考えて"トゥ+ナミ"(2つの川)または、"トー+ナミ"(沼っぽい川)かと思うが
わからない。

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なんでもかんでも富山県の地名をアイヌ語で解釈しようとする人がたまに居る。
それは論外。だが、

(1) 弥生人がいなかった地域(弥生時代の遺跡がない地域)で、
(2) 大和言葉では説明がつけられない地名で、
(3) 奈良時代には既に存在していたと考えられる地名

は縄文語由来かもしれない、と考えてみても良いと思う。

北海道の縄文語と北陸の縄文語の間には違いもあったであろうし、
1700年間の間での言葉の変化もあることを考慮しなくてはならない。


・・・って、地名の由来なんて皆んな興味が無いのかなぁ。


<まとめ>
・トナミ=AD3-4世紀頃の山田川、かもしれない。

・「なぜ砺波地方に"波"の地名が多いのか」
 「なぜ砺波地方に弥生時代の遺跡が少ないのか」
 「なぜ砺波地方に諏訪社が少ないのか」
 この3つは連動している。



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利波河船着き場跡

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toidegelato

弥生時代の北陸を統治したお諏訪様と諏訪信仰。北方系縄文人と南方系縄文人の違い。北陸における弥生時代のクニ、縄文から弥生への移行過程などに特に関心あり。