莵橋神社(小松市)は諏訪信仰発祥地か

IMG_20200602_105928.jpg

北陸の式内社でお諏訪様を祀るのは莵橋神社だけでしょうか。

「弥生時代後期、出雲人の息子であるお諏訪様の拠点は小松にあったのではないか」ということで莵橋神社に行ってきました。


この神社、もとは台地の上(得橋郷小野)にあったそう。飛鳥時代に加賀国府が設置されたあたりの場所です。

弥生時代後期(3世紀後半)から飛鳥時代に国府が設置されるまで、そのあたりがずっと加賀地方の中心であったのかもしれません。


IMG_20200608_175021.jpg
加賀国府があった場所は、お諏訪様を祀る莵橋神社が元々あった場所(のすぐそば)


・・・結論、

やはり小松市小野町出雲系四隅突出文化・お諏訪様本拠地だったような気がします。(きっと地下に遺跡が埋まっているハズです。)

この地を中心として諏訪神人(すわじにん)と呼ばれる遊行者が、北陸地方の縄文人の信仰であるウッドサークル(環状木柱列)を参考にした巨木信仰である「諏訪信仰」を北陸各地へと広めていったのではないでしょうか。

縄文土器に見られる稲作の痕跡。弥生土器に見られる縄文文様。
北陸地方においては縄文人たちは弥生人たちへとゆるやかに同化していったようです。

縄文人の巨木信仰が弥生人(お諏訪様)に引き継がれても不思議ではありません。


巨木を崇める(社殿・祠を持たない古い形式の)諏訪信仰は北陸地方を中心に分布しています。

もし、4世紀以降の長野県諏訪地方が諏訪信仰の発祥であるならばこのような広がり方はしないでしょう。

3世紀後半(ヤマト族との「国譲りの戦い」より前)、お諏訪様が北陸を統治していた時代に統治下である北陸各地に広がったと考えるのがより自然です。


以下、莵橋神社ホームページより抜粋引用>>>


 諏訪大神は大国主命(出雲大社)の第二の御子神である建御名方命(たけみなかたのみこと)とその妃神八坂刀賣命(やさかとめのみこと)で、その総本社は信濃国一之宮諏訪大社である。
 社伝によれば太古悠遠の昔、大国主命が北陸地方経営に際して父神と共にこの加賀の地に到り、先ず洪水を治め暴風を防ぎ凶暴を平らげ国土を開拓し農耕、機械、殖産の道を教え民衆の生業を助け給い、やがてその業成るや自らの御魂をこの地に留められ国魂の神として永く莵橋郷の鎮守の神となられし後に信濃国諏訪の地へ赴かれたという。


<<<-----引用ここまで

莵橋神社社伝、古い諏訪信仰の分布状況、縄文~弥生時代の遺物の状況、四隅突出型墳丘墓の北陸での分布状況、加賀国府の位置、高志の大乱・大国主の北陸遠征、国譲り、・・・すべてがピッタリ合致します。


<リンク>
諏訪信仰と北陸の弥生時代


IMG_20200602_110120.jpg


スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

toidegelato

弥生時代の北陸を統治したお諏訪様と諏訪信仰。北方系縄文人と南方系縄文人の違い。北陸における弥生時代のクニ、縄文から弥生への移行過程などに特に関心あり。