
小松市埋蔵文化財センターへ行ってきました。

あの有名な日本最古(東アジア最古)の
「柄付き鉄製鉋」です。
八日市地方遺跡(JR小松駅付近)から出土。紀元前350年頃のもののようです。

近年、弥生時代の定義が揺らいでいるようです。
(本格的ではないが縄文人も稲作を行っていたため)
ということで、
弥生人の特徴である環濠集落(八日市地方遺跡)が見られるようになる
「紀元前350年頃から紀元前50年(BC350~BC50)」が北陸地方における「弥生時代中期」というするのが良いようです。
勉強になりました。
ということで、北陸地方には「弥生時代前期」は「無い」ようです。
(弥生人が小規模に住んでいた痕跡はあるが、環濠集落では無いため)
で、
「四隅突出型墳丘墓」が特徴的な出雲文化を持った人たちが暮らした
「弥生時代後期」は、紀元前50年頃から紀元後300年頃のようです。
3世紀末に起こったヤマト族の北陸侵攻。
お諏訪様は戦いに破れて、北陸地方も古墳時代へと移っていきます。
個人的に一番気になるのは、
北陸の弥生中期人、弥生後期人(出雲人)の
人種です。
ヤマト族は朝鮮からやってきた人たちですが、
北陸の弥生中期人、弥生後期人も同じく朝鮮からやってきた人だったのでしょうか。
もっと遺跡の発見、発掘が進み、、
人骨DNA鑑定できるようになったら良いなと期待しています。
あと、北陸の縄文人たちは、弥生人に虐殺されたり、奴隷にされたのではなく、
(紀元前350年よりも前から)数百年かけて少しずつ同化していったような気がしてきました。
加賀三湖をめぐる攻防古墳時代以降の北陸の歴史も面白そう。

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