群馬県立歴史博物館

群馬県立歴史博物館、面白かった!

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古代の関東の中心は群馬県。関東の玄関口も群馬県。知らなかった。
今の岐阜県~長野県~群馬県~東北地方に至る「東山道」が主要ルートだった。


・・・のか?
関東の平野部では単に遺跡が見つかっていないだけかもしれない、とも思った。

「火山灰に埋もれていた」
「泥炭地帯だったため木が腐りにくかった」
「湧水地帯だったため木が腐りにくかった」

・・・といった特別な条件の場所からは大きな遺跡が見つかりやすい。

旧石器時代も、縄文時代も、人々は
(湿地ではない乾燥した)平野部の川沿いのほうが多くの人が暮らしていたと思う。
その方が食料となる動物、木の実が手に入りやすい。


何度も起こったであろう洪水による土砂に埋もれているだけで
関東地方でも平野部のほうが人口が多かった可能性もある気もする。


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竪穴式住居と、掘立柱建物の住居が同じ時代の同じ集落内に並行して存在していて
竪穴式住居のほうが新しいタイプの住居であるという説明があった。

本当なのかな。


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インターネット上ではネタのように扱われている
「相撲の起源は朝鮮」説は本当だった、ということがわかったのが一番衝撃だった。

装飾靴(履けない靴・金張履物・金銅靴)など
ヤマト族は朝鮮の文化を積極的に取り入れていたが、
その一環として「力士」の文化も取り入れたのだろうか。

それとも、ヤマト族が日本列島に渡ってきた頃から「力士」は存在していたのだろうか。

遅くとも古墳時代には相撲は神事だったようだ。

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