九州北部に日本の首都があった時代(福岡県)

神武1

飛鳥時代以降、日本の首都は現在の奈良県あたりに存在していたことが知られていますが、それ以前の時代は九州北部が帝(天皇)の住む都があったようです。

私の中学生だった頃は「大和≒奈良県」と教わりましたが、
飛鳥時代の律令制度によってそう定められる前はもっと広範囲だったようです。

熊本県にはヤマト町があり、福岡県に京都がありますしね。


<参考>
万葉集から解き明かす古代史「神武は筑豊に東征した」(福永晋三)


福永説(要旨抜粋):
・神功皇后(息長足姫・おきながたらしひめ)は倭国ではなく、
 近畿地方にあった東鯷国(とうていこく;銅鐸文化圏)の人物。
 東鯷国は銅鏡のひとつである三角縁神獣鏡を創造、
 祭祀具が銅鐸から三角縁神獣鏡へと変わっていく。

九州北部にあった倭国(=邪馬臺国)は銅矛文化圏の国だった。

・神功皇后が倭国へ侵攻(神功の西征)。倭国(邪馬臺国)滅亡。
 → 九州~瀬戸内~近畿に統一倭国(統一文化圏)が成立。

・神功皇后から倭の五王の時代(420年~479年頃)へとなっていく。

・倭の五王(武)の時代には常陸国まで勢力範囲が及んだ。

・万葉集(舒明天皇の国見歌)によれば大和の国は海があった。

・天の香具山(あまのかぐやま・あめのかぐやま)の頂上からは海や鷗が見えた。

・万葉集4261番「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都と成しつ」
 現在の福岡県三潴郡(みずま)に皇都を作ったときに詠まれた歌

・水沼君(みむまのきみ)・・・倭の五王のいづれかに当たる。

・万葉集29番30番31番・柿本人麻呂「玉だすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし・・・」という歌がある。これは神功皇后摂政元年2-3月に起きた「神功皇后が忍熊王(おしくまのみこ)を滅ぼし、入水自殺に追い込んだ際の戦記」を現して詠んだ歌


神武2
遠賀湾、行橋湾が古代の近江と遠江だったか


・万葉集153番 太后「いさなとり 近江の海を 沖離けて 漕ぎ来る船 辺つきて 漕ぎ来る船 沖つかい いたくなはねそ 辺つかい いたくなはねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ」という歌がある。

「いさな」とは鯨。「いさなとり」は鯨漁。琵琶湖ではクジラは捕獲できない。→ 遠賀湾の海のこと。近江(おうみ)とは福岡県遠賀湾(遠賀川)あたり(または行橋市あたり)の海のこと。

・万葉集・日本書紀・古事記に出てくる近淡海(近江;ちかつおうみ)、遠淡海(遠江;とおつおうみ)いずれも福岡県。遠賀湾と行橋湾が近江と遠江。淡海(あはうみ)は海。湖ではない。

・日本書紀、神武天皇は畝傍山(うねびやま)の東南に橿原宮を築いた、と書かれてある。

・天香久山(あまのかぐやま)は福岡県香春町にある香春岳のこと。一ノ岳または三ノ岳の端が畝の尾。畝尾(うねび)にあたる。

・香春岳三ノ岳(一番北)が金や鉄や銅が産出した中心地。なので反対側の一ノ岳(一番南)が畝尾に相当する。一ノ岳の麓が橿原宮があった場所である。

鶴岡八幡神社(香春町大字中津原404)近辺こそが神武天皇が築いた橿原宮の場所。

・奈良県の天香久山は金や鉄や銅は産出しない。万葉集にある天香久山は奈良県ではない。

香春一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳が大和三山(やまとさんざん)

・神武天皇は「畝傍山東北稜」に葬られたとされる。香春岳一ノ岳の東北に勾金(おほきん)さん(勾金陵墓参考地)と呼ばれる弥生時代の円墳がある。「勾金」はもちろん当て字。「おほきみ(=大皇・大君)」という意味。
「〇〇天皇陵」などの固有名詞がついていない。単に「おおきみ」の墓と呼ばれているということは、ここが天皇家で最初の墓である証拠。初代だから固有名詞がつかない。ここが本当の神武天皇陵。

・詳しくは香春町歴史資料館の若い学芸員さんへ。


神武3
比定・神武天皇陵(福岡県香春町)


-(Youtube要約ここまで)------------------------------------

神武天皇陵は現在奈良県橿原市大久保町に比定されていますが、これは九州から近畿に首都を移転させた際に、それらしい地形だっただったところを改めて橿原として当てはめたものでしょうか。

もとの場所を同じ地名を付けるのは、高岡市に二上山があるのと同じですね。


福永説では「日本国東遷(九州→近畿)は8世紀後半」のようです。


以下は今の時点での個人的感想>>>

個人的にはもう少し早い時期に九州→近畿東遷があったような気がします。6世紀(古墳時代→飛鳥時代)頃か。

弥生時代のヤマト(邪馬臺)は九州北部~瀬戸内~近畿地方。古墳時代には天皇家の支配下にあった地域、九州~近畿~北陸・関東までがヤマト(大和)と呼ばれていたのではないでしょうか。

万葉集の天香久山は奈良県と福岡県が混在。
先史(弥生、古墳時代)のことを詠んだ歌は福岡県。

古事記に記された天香久山や天の金山は福岡県か。

神武天皇の橿原宮は福岡県香春町。

古事記「第七段一書(一)稚日女尊の死と日矛と鏡」
https://nihonsinwa.com/page/715.html
「石凝姥が鍛冶士となって天香山から金を採って来て日矛を作りました。」


思金神の策
https://nihonsinwa.com/page/1054.html
「天の安河の上流の岩と天の金山の鉄を材料に鍛冶屋アマツマラと鏡の神イシコリドメに八咫鏡を作らせました。」



・・・ということで先日、福岡県のヤマト巡りをしてきました♪

↓↓↓

<リンク>
・弥生時代の日本の首都・香春町 (まとめ工事中)
 (宮原遺跡、阿蘇隈遺跡(阿蘇隈社)、河内王陵、鏡山神社、香春神社)

・夏羽焼・夏焼の地(福岡県田川市夏吉) (まとめ工事中)

・香椎宮(仲哀天皇大本営の地) (・・・まとめ中)

香春神社の御祭神(辛国息長大姫大自命、忍骨命、豊比咩命)の「辛国」とは「韓国」を表すとらしい。豊比咩命とともに弥生時代に朝鮮半島から伝わった巫女教っぽい。天皇家が香春を統一する以前は、巫女が占いによって治めるシャーマニズムのクニがあったハズ


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<以下、メモ>
※倭の五王:讃・珍・済・興・武。およそ1世紀近くに渡って主に宋(南朝;420年~479年)へ朝貢

※飛鳥時代:592年(崇峻天皇5年)~ 710年(和銅3年)
 (飛鳥宮が首都だった時代)

※万葉集 :629年即位の舒明天皇 ~ 759年

※壬申の乱:672年7月24日~8月21日

※古事記 :712年編纂

※日本書紀:720年完成

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toidegelato

弥生時代の北陸を統治したお諏訪様と諏訪信仰。北方系縄文人と南方系縄文人の違い。北陸における弥生時代のクニ、縄文から弥生への移行過程などに特に関心あり。