北陸の縄文人がアイヌである7つの証拠(縄文人=アイヌ)


「北陸地方の縄文人」が「アイヌ」であるということがまだ一般に知られていない。

と、最近気がついたので以下に同じだと考えられる理由をまとめてみます。

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(1) 日本語とアイヌ語の基本単語の共通性

現代日本語の基本的な単語である「神」や「手」、「骨」、「泊」はアイヌ語と共通性があります。

神:"kamuy"

手:"tek"

骨:"pone"(日本語も古代にはハ行音はパ行音だったことが知られている。)

泊:"tomari"(港、湊)

地理的に全く離れたところにある異なる言語の単語が、たまたま偶然に似通ってていることもあります。

ですが、ヤマトとアイヌという隣り合う文化圏の言語で、しかも基本的な単語ですのでどちらかが影響を受けたものであると理解できます。


とても身近な基本単語をヤマト族が蝦夷地のアイヌへ教わりに行った?
または、アイヌの人々がヤマト族へ言葉を教わりに来た?

どちらも無理があります。


日本列島には縄文人が先住していて、朝鮮半島または中国から弥生人がやってきたことがわかっています。

「神」や「手」や「骨」といった単語は縄文語由来であり、日本列島に入ってきた最初の弥生人が借用した、としか考えらません。

(最初の弥生人≠ヤマト族かとは思いますがここでは言及しません。)


単語は、基本的なものほど時代で変化しにくく、複雑で概念的な単語は変化しやすい傾向があります。

動物と人間を区別するための単語は基本的な単語です。

縄文人は自分たちのことを「アイヌ(=人間)」と呼んでいた可能性も低くないでしょう。

北陸最古のミトコンドリアDNA
「北陸最古のミトコンドリアDNA」
(富山県埋蔵文化財センター)小竹貝塚で見つかった人のミトコンドリアDNAの解説

少なくとも北陸以北の北方系が主体の縄文人は自分たちを「アイヌ」と呼んでいた可能性は高いと思います。


また、私たちが普段使っている日本語には縄文語由来の単語がたくさんあるということです。


(2) 本州アイヌの記録

江戸時代、青森県には蝦夷(=本州アイヌ)と呼ばれる人が住んでいたことが津軽藩などの記録に残っています。

(青森県立博物館などの展示を見れよく理解できます。)

北海道と本州のアイヌの人々は交流していて同じ文化を共有していました。
津軽海峡をそれなりの頻度で行き来していて、本州アイヌの人々も山丹交易経由で中国の品(蝦夷錦など)を所有していました。


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蝦夷錦(Wikipediaより)


ということは、平安時代や奈良時代に蝦夷(エゾ・エミシ)と呼ばれた東北地方の人々=本州アイヌでしょう。

ということは、弥生時代以前に、東北地方以南に住んでいた縄文人たち=アイヌということは自明ではないでしょうか。

一昔前、「擦文文化にオホーツク文化が加わって発展したものがアイヌ文化である」といった定義を見かけた気がしますが、この定義はおかしな気がします。

少なくとも約1万7000年前からずっと「アイヌ」だったのですから。


(3) 文様が似ている。

「アイヌ文様」のアツシ織り(アットゥシ)の文様と、縄文土器の文様が似ています。


縄文土器
富山県埋蔵文化財センター 標式土器展示より


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アイヌ文様(https://ainu-monyou.com/archives/1901)より


無理やりな理屈を考えなくても直感的に同じ民族だということがわかります。

同じ文化、価値観を持っているからこそ、同じ文様に価値を感じるのです。


(4) 本州各地の地名がアイヌ語で解釈できる。

富山県であれば、氷見市にはアイヌ語で解釈できる地名が多いことで有名です。

<参考>
「氷見市地名の研究」(中葉 博文・1980)
「氷見市地名考」(児島 清文・1962)

富山県朝日町の泊もアイヌ語(縄文語)由来の地名です。

ヒスイ海岸で有名な朝日町は縄文時代から翡翠(ヒスイ)産地として全国的に知られていました。
ヒスイの加工を行っていた縄文遺跡もあり、「泊」は各地からやってくる人の交易の場でもありました。

能登半島の「能登(not)」も、能取、納沙布、野付、野寒布、能代(not-shir)と同じで、アイヌ語で「半島」を意味するようです。

<リンク>
北陸地方に残るアイヌ系文化について

奈良時代の戸出にあった東大寺荘園「杵名蛭(キナピル)」もアイヌ語感(縄文語感)があります。大和言葉では意味不明、解釈不能です。


もう、縄文人とアイヌは同一としか考えられないではないでしょうか。


これでもまだ「縄文人とアイヌは違う」と思う人は、「富山県の地名を名付けるために北海道からアイヌの人々を呼び寄せて名前をつけてもらった。」と考えるのでしょうか?

そのような歴史事実はありません。

昔の人が日本語とは異なる謎の言葉で適当に地名を付けていったら、偶然たまたまアイヌ語に似てしまったのでしょうか?

その可能性は限りなくゼロです。

※たまに、地名の全てをアイヌ語で解釈しようとされるかたもおられますが、それは行き過ぎです。


(5) バラバラの土偶

女性(妊婦)を表しいていた縄文時代の土偶は故意に壊してバラバラにされました。
命の繋がりに関する「何か」だと考えられています。

動物の魂を神の世界へと返すイオマンテ(熊送り)となんだか似ているような気がしませんか?


(6) 貝塚に埋葬される死体

貝塚は送り場
「貝塚と埋葬された人々」
(富山県埋蔵文化財センター)小竹貝塚の解説


現代日本人の考え方では「貝塚」はゴミ捨て場のようにも思えますが、縄文人が死んだ際には貝塚に埋葬されました。

これも、人間の魂を神の世界へと返すという意味で、イオマンテの考え方と似ています。


(7) 縄文人の遺伝子はアイヌに近い。

2019年、国立科学博物館によって縄文人の全ゲノム(遺伝情報)が解析されました。

ヤマト人(東京)  ・・・縄文人ゲノムの約10%を受け継ぐ。

北海道アイヌの人たち・・・縄文人ゲノムの約7割を受け継ぐ。

沖縄県の人たち   ・・・縄文人ゲノムの約3割を受け継ぐ。

江戸時代以降にヤマト人が北海道へ進出した結果が「北海道・7割」でしょう。

(「縄文人」として一括せずにに「縄文時代のいつ」と「どこ」を区別したDNA解析結果を見てみたい。)


<<まとめ>>

以上。研究が進み、科学が進歩し、インターネットで簡単に情報共有できるようになった現代においてなお、「縄文人とアイヌは別だ」だと考える人は少ないかと思います。

可能性が限りなくゼロに近いことを信じることも信仰の自由だとは思いますが、それは科学ではありません。


縄文人は、
(1) 旧石器時代にナウマンゾウなどを追って日本列島へやってきた狩猟を生活の糧とする北方系(ヨーロッパ人にも似ている顔の彫りが深い系)、主に北海道・東北・北陸に居住。
(2) それ以降にやってきた漁労を糧とする南方系(東南アジア人にも見える目がぱっちりとした系)、主に九州~関東に居住。
の2系統の人々が混ざった人たちであるといわれています。

文化的にも日本列島各地はひとくくりにはできず、「文化圏」がいくつも存在していたこともわかっており、現在も残る全国各地の方言にも縄文語の影響があるといわれています。

少なくとも、北陸~東北地方に住んでいた、北方系を主体とする縄文人たちは自分たちのことを「アイヌ」と自称していた可能性は高いでしょう。


<参考・・・現代に残る北陸アイヌの巨木信仰>
諏訪信仰と北陸の弥生時代

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