姉倉比賣神社(富山市船峅)と弥生時代のクニ

拝殿前鳥居
(写真は拝殿入り口前の鳥居)

姉倉比賣神社(船峅)に来ました。

ここは弥生時代中期に富山県の中心地だったと思われる場所です。「姉倉姫」と呼ばれる女性によって統治されていましたようです。卑弥呼と同じで北陸でもクニは女性が統治するものだったのでしょうか。
大国主らの侵攻を受けて、姉倉姫は呉羽丘陵一帯へ移ったとされています。

<参考>
高志の大乱(越の大乱)


姉倉姫神社本殿
姉倉姫神社本殿

姉倉姫神社本殿は拝殿から少し離れた山の上にあります。
雪が降る静寂の中で、ひっそりと佇む本殿は神秘的でした。

弥生人たちもここで祭祀を執り行っていたかと思うと感慨深いですね。


寺家アカガシ
(寺家アカガシ叢林・看板1)

寺家アカガシ2
(寺家アカガシ叢林・看板2)

こんな雪国の寒冷地で温暖性の植物が純正自然林を形成しているのは珍しいとのこと。

おそらく、アカガシのドングリを食料としたかった縄文人、または弥生人が南国から種を持ってきてこの地に植えたものではないでしょうか。で2000年が経過して自然林のようになった、と。

または、姉倉姫の一族にとってアカガシが祭祀上特別な植物だったのかもしれません。


himejinnjya縁起

由緒書には、
「この舟倉の地一帯は神代の昔から拓け、古事記・日本書紀によると紀元前30年頃に姉倉比売がこの辺りの賊を征伐、統治され、後に農耕と養蚕を地元民に教えて(?)神として尊崇された」と記されている。

神仏混交の名残で、虚空蔵菩薩を護持しており、33年に一度御開帳の伝統が今も残っているとのこと。


船峅33観音
船峅山三十三観音巡拝道

富山市旧大沢野町の遺跡状況がネット上では検索できないので、近いうちに図書館へ行って確認してみたいと思います。
この神社の周囲にはいつの時代の、どのような遺跡が発掘されているのか。気になります。


船峅マップ
「寺家公園とその周辺案内図」

地元の小学校はフナクラ(船峅小学校)、隣にある山のサルクラ(猿倉山)、
女王の名はアネクラ(姉倉)、妹の名はヌノクラ(布倉)。

「クラ」とはいったいどういう意味なのでしょうか。
弥生時代中期にこの地を統治していた一族の名なのでしょうか。

弥生時代の北陸の人たちの名前はやはり2音節だったような気がします。

クラ・・・弥生中期。船峅や呉羽(新川郡、婦負郡を統治した一族)
フセ・・・氷見市布勢神社あたりを統治
スワ・・・弥生後期。お諏訪様。呉羽丘陵を中心に北陸を統治
ケヒ・・・弥生中期。能登の気比神社あたりを統治
ケタ・・・福井県敦賀あたりを統治


能登姫、姉倉姫、石動彦といった長い神名はヤマト族が後から名付けたハズです。

ヒメ=日の女。ヒコ=日の子。太陽の末裔を自認していたヤマト族らしい名付けかたです。


富山市呉羽地区にも同名の「姉倉比賣神社」があります。

姉倉姫神社呉羽
姉倉比賣神社(呉羽)

伝承上も、姉倉姫は船峅から呉羽へやってきたことになっていますし、船峅近辺に「クラ」の地名が多く残っていることからみても伝承はほぼ正しいのかと思います。


姉倉姫神社呉羽由来

呉羽創建


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