• 加曽利E式土器で有名な加曽利貝塚(千葉市若葉区)に行って来ました。貝塚には人間は埋葬しない。ウッドサークルもない。やはり北陸の縄文人とは全く文化が違うんですね。この円形の大型建物は倉庫ではなく、祭礼が行われた場所らしい。北陸縄文人でいうところのウッドサークル、東北縄文人のストーンサークルに当たる施設か。異形台付土器、土偶、石棒、勾玉が円形大型建物から出土している。異形台付土器。どのように使うのでし... 続きを読む
  • これまでは「原始・古代」だった第1展示室の名称が、2019年12月に「先史・古代」に改められたとのことです。先史=旧石器・縄文・弥生・古墳古代=それ以降展示はものすごく面白かった。「第1展示室」だけで4時間近く滞在してしまった。また来たい。縄文時代の北陸は独自の文化圏だった。人種的には、北陸~東北・北海道=アイヌだったらしい。縄文時代中期、西日本の人口は本当に少なかったのか?西日本のほうが温暖で、クリなど... 続きを読む
  • 縄文時代の日本列島は南北で人種が異なり、くっきり分かれて住んでいたことが近年わかってきたそうです。北陸以北の縄文人=アイヌだったらしい。真脇の縄文人は、丸太船に乗ってイルカをたくさん獲っていたよう。海辺のアイヌと同じですね。墓場に建てられていた3本の木柱列もアイヌ文化っぽい。ヌサに似ている気がする。「真脇の縄文人は平均的な縄文人とは違う」「真脇の縄文人は面長で垂れ目気味」と解説板に書かれています。... 続きを読む
  • 日本の神道は縄文人が信じていたアニミズムと、朝鮮半島から弥生人が持ってきた巫女教(シャーマニズム)が合わさったものだと考えられています。そして弥生時代中期、神の声を聞く巫女によって統治されていたクニがここにもありました。富山県の姉倉比賣神社付近にあったクニ・姉倉の巫女(姉倉姫)と、能登の巫女は、何の理由かは不明ですが戦っていました。で、出雲の大国主(大己貴命)によって仲裁(制圧?)されたようです。... 続きを読む
  • 富山県氷見市で最もカッコいい(と個人的に感じる)地名・「触坂」。絶対アイヌ語(=縄文語)の"フレ"(赤い)と関係ある、・・・と気になり続けてはや数十年。初めて現地を訪ねてみました。が、何も赤くない。土も水も赤くない。(触坂の雰囲気)しかし、その上流には「赤毛」というまた「赤」に関連する地名。縄文・弥生時代のこの地域、上庄川流域(久目地区)には、絶対に赤い「何か」があった気がします。(穂が赤い稲が地名... 続きを読む
  • 「北陸地方の縄文人」が「アイヌ」であるということがまだ一般に知られていない。と、最近気がついたので以下に同じだと考えられる理由をまとめてみます。---+---+---+---+---+---+---(1) 日本語とアイヌ語の基本単語の共通性現代日本語の基本的な単語である「神」や「手」、「骨」、「泊」はアイヌ語と共通性があります。神:"kamuy"手:"tek"骨:"pone"(日本語も古代にはハ行音はパ行音だったことが知られている。)泊:"tomari... 続きを読む
  • ヤマタノオロチ伝説とは、「北陸地方にあった8つのクニを大国主の祖先であるスサノオ(素戔男尊/素戔嗚尊/素戔烏尊)が平定した」と解釈する説があります。(出雲国風土記「越の八口」平定、の記述)<リンク>ヤマタノオロチとは高句麗族のことだった!(田中直人)ヤマタノオロチとは高句麗族(オロチョン族)ことなので「オロチ」らしい。#「越中ふんどし」は「オリベふんどし」「オロッペふんどし」などとも呼ばれていたらし... 続きを読む
  • (写真は拝殿入り口前の鳥居)姉倉比賣神社(船峅)に来ました。ここは弥生時代中期に富山県の中心地だったと思われる場所です。「姉倉姫」と呼ばれる女性によって統治されていましたようです。卑弥呼と同じで北陸でもクニは女性が統治するものだったのでしょうか。大国主らの侵攻を受けて、姉倉姫は呉羽丘陵一帯へ移ったとされています。<参考>高志の大乱(越の大乱)姉倉姫神社本殿姉倉姫神社本殿は拝殿から少し離れた山の上に... 続きを読む
  • 明治維新の際、この地域一帯・神通川左岸38ヶ村「宮川郷」の神社として社格は「郷社」だったそう。ネット情報によればその後、式内社として比定され「多久比禮志神社」(たくひれし)へと名称を変更したらしい。なぜここがこの神社が式内社へ比定されたのか、気になる。近いうちに図書館で大沢野町史や大沢野町誌を読んで確認したい。(年末なので図書館はお休みでした。)「多久比禮(たくひれ)」とは、栲布(たくぬの)で作った... 続きを読む

toidegelato

弥生時代の北陸を統治したお諏訪様と諏訪信仰。北方系縄文人と南方系縄文人の違い。北陸における弥生時代のクニ、縄文から弥生への移行過程などに特に関心あり。