• 富山県内最大の弥生時代後期住居跡・千坊山遺跡(富山市婦中町羽根)に来ました。年代的には「お諏訪様」が北陸を統治していた時代の頃のものです。この場所からは富山平野が広く見渡せるようです。(この日は天候悪かったので見渡せていませんが。)縄文、旧石器時代の遺物も出土しているそうです。確かに良い場所です。「富山県最大」の住居跡遺跡なのに現地には看板がひとつあるだけ。もっとPRすべき。予算がつかないのか?野生... 続きを読む
  • 初めて二上射水神社に来てみました。ユネスコ無形文化遺産にも指定されている「高岡御車山祭」(毎年5/1開催)は、古代信仰が変化したものとも考えられるそうです。(諸説あるらしい)すぐ西側には「大杉神社」という神社があります。巨木を祀る諏訪信仰のほうが古い(弥生時代)信仰なので、二上射水神社のほうが後から建てられた神社かと思われます。それでも延喜式内社なので古代の建立でしょう。奈良時代頃に勢力を誇った射水... 続きを読む
  • 戸出町から福岡町への途中。いつも気になっていた福岡町一歩二歩にある「五社祠」に立ち寄ってみました。この場所は北に下老子笹川遺跡が隣接した場所。下老子笹川遺跡は弥生時代中期から近世までの広範囲の遺跡ですが未調査の範囲も広く、位置的にも今後は縄文時代の遺構も発見されるような気がしています。年間行事をみると「御諏訪祭」が開催されているようです。諏訪社が合祀されているのか。昔は近郊に「お諏訪杉」があった筈... 続きを読む
  • 伝承・神話に基づけば、弥生時代中期の富山県には女王・姉倉姫(あねくらひめ・富山市舟倉または呉羽が拠点か)が治める国があって、石川県中能登町を拠点にしていた女王・能登姫と戦っていたようです。石動山を拠点にしていた石動彦(伊須流岐比古・いするぎひこ)もこの戦いに関わっていたらしい。(高志の大乱・越の大乱)この時期、山陰の出雲地方を治めていた大国主は翡翠(ヒスイ)を求めて、新潟県糸魚川市を治めていた女王... 続きを読む
  • 近年までその場所が特定されていなかった杵名蛭荘園(東大寺荘園)でしたが、現在の高岡市戸出地域(市野瀬・狼・伊勢領付近)にあったことがわかってきました。決め手になったのは・・・(1) 砺波郡二十二条(22条)~二十三条(23条)の位置にあること ※ 砺波郡の条里プランは平野の西端を1条をして西から東へ数える。 ※ 「里」(南北方向)は、石黒上里、石黒中里、荊原上里、荊原里などの固有名詞を使用する。(2) 足原田(葦... 続きを読む
  • 諏訪信仰の起源は北陸地方であるとされています。小学館 日本大百科全書によれば、--------------------------------(略) この信仰は、かつては諏訪神人(じにん)とよぶ遊行者(ゆぎょうしゃ)によって流布されたもので、その分布状態からみると、北陸から信濃(しなの)にかけて居住していた出雲(いずも)系族類による信仰に起源するが、時代によって変遷がある。大昔は狩猟神として尊敬されたが、農耕時代には農耕神として、また武... 続きを読む
  • 群馬県立歴史博物館、面白かった!古代の関東の中心は群馬県。関東の玄関口も群馬県。知らなかった。今の岐阜県~長野県~群馬県~東北地方に至る「東山道」が主要ルートだった。・・・のか?関東の平野部では単に遺跡が見つかっていないだけかもしれない、とも思った。「火山灰に埋もれていた」「泥炭地帯だったため木が腐りにくかった」「湧水地帯だったため木が腐りにくかった」・・・といった特別な条件の場所からは大きな遺跡... 続きを読む
  • かみつけの里博物館、八幡山古墳へ行ってきました。登れる前方後円墳は面白かった。古代の田んぼの大きさは畳2枚。金メッキされた「履けない靴」の展示も面白かった。この地を治めていた上毛野氏は朝鮮の文化を崇めていたらしい。やはりヤマト族は朝鮮系(百済・任那系)なのは間違いないよう。先住の弥生人たちはすんなり支配下に入ったのだろうか?3世紀末の北陸で起こったヤマト族vs諏訪族(タケミナカタ)による「国譲りの戦い... 続きを読む

toidegelato

弥生時代の北陸を統治したお諏訪様と諏訪信仰。北方系縄文人と南方系縄文人の違い。北陸における弥生時代のクニ、縄文から弥生への移行過程などに特に関心あり。