• 大正13年に出版された富山県内の神社一覧がまとめられた「富山県神社祭神御事歴」を使って、富山県内の市町村別に諏訪社の数を数えてみた。諏訪信仰とは、お諏訪様が北陸を統治していた弥生時代後期(3世紀後半か)、諏訪神人と呼ばれる遊行者によって広められた、といわれている。※ お諏訪様は出雲系の四隅突出型墳丘墓を築いた一族と考えられている。一方、砺波市、南砺市のあたりには弥生時代の遺跡がほとんど無い。【仮説】1. ... 続きを読む
  • 日本の神道は縄文人が信じていたアニミズムと、朝鮮半島から弥生人が持ってきた巫女教(シャーマニズム)が合わさったものだと考えられています。そして弥生時代中期、神の声を聞く巫女によって統治されていたクニがここにもありました。富山県の姉倉比賣神社付近にあったクニ・姉倉の巫女(姉倉姫)と、能登の巫女は、何の理由かは不明ですが戦っていました。で、出雲の大国主(大己貴命)によって仲裁(制圧?)されたようです。... 続きを読む
  • ヤマタノオロチ伝説とは、「北陸地方にあった8つのクニを大国主の祖先であるスサノオ(素戔男尊/素戔嗚尊/素戔烏尊)が平定した」と解釈する説があります。(出雲国風土記「越の八口」平定、の記述)<リンク>ヤマタノオロチとは高句麗族のことだった!(田中直人)ヤマタノオロチとは高句麗族(オロチョン族)ことなので「オロチ」らしい。#「越中ふんどし」は「オリベふんどし」「オロッペふんどし」などとも呼ばれていたらし... 続きを読む
  • (写真は拝殿入り口前の鳥居)姉倉比賣神社(船峅)に来ました。ここは弥生時代中期に富山県の中心地だったと思われる場所です。「姉倉姫」と呼ばれる女性によって統治されていましたようです。卑弥呼と同じで北陸でもクニは女性が統治するものだったのでしょうか。大国主らの侵攻を受けて、姉倉姫は呉羽丘陵一帯へ移ったとされています。<参考>高志の大乱(越の大乱)姉倉姫神社本殿姉倉姫神社本殿は拝殿から少し離れた山の上に... 続きを読む
  • 富山県内最大の弥生時代後期住居跡・千坊山遺跡(富山市婦中町羽根)に来ました。年代的には「お諏訪様」が北陸を統治していた時代の頃のものです。この場所からは富山平野が広く見渡せるようです。(この日は天候悪かったので見渡せていませんが。)縄文、旧石器時代の遺物も出土しているそうです。確かに良い場所です。「富山県最大」の住居跡遺跡なのに現地には看板がひとつあるだけ。もっとPRすべき。予算がつかないのか?野生... 続きを読む

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弥生時代の北陸を統治したお諏訪様と諏訪信仰。北方系縄文人と南方系縄文人の違い。北陸における弥生時代のクニ、縄文から弥生への移行過程などに特に関心あり。