• 小矢部市の地名の由来。この市名は、1962年(昭和37年)に石動町と砺中町が合併した際に両方の町を流れている小矢部川から採ったのでしょう。で、「小矢部川」の川名の由来は小矢部村のそばを流れている川だから。では、その「小矢部村」の村名の由来は?礪波郡小矢部村は丘の上にあった村。"部"は北陸の縄文語で"川"の意味。"矢"とはおそらく"丘・岸"という意味(洞爺湖と同じ)。川のすぐそばの丘は生活の便が良いので、縄文後期... 続きを読む
  • 砺波市埋蔵文化財センターへ行ってきました。2015年オープンでまだ新しい施設。「子どもにもわかりやすい展示」「いろいろな体験ができる」がテーマで明るい感じなのが良いですね。砺波市が推している「増山城」ファンが全国から訪れているとのこと。富山県を代表する縄文遺跡「松原遺跡」。縄文土器の文様とは、方言のようなもの。縄文人は山の上に多く住んでいた、とのこと。個人的には、河川の近くにも縄文人は住んでいたと思う... 続きを読む
  • 「北陸の大昔(アイヌ語のふる里)・間方徳松・1983年」を読んで気になった点をまとめてみます。(1) 富山県方言に見られる語尾「~や、さかい。」(=~だからね。)や「~や、わい。」(=~です。)といった言葉は、縄文語由来。言語学上も日本各地の方言の分化の程度は1万年以上分ほどに分かれているとわかっている。# 弥生人が日本列島に広まってからの1700年弱の程度では、# 津軽弁~富山弁~薩摩弁のような互いに意思疎通が... 続きを読む
  • 縄文時代の日本列島は南北で人種が異なり、くっきり分かれて住んでいたことが近年わかってきたそうです。北陸以北の縄文人=アイヌだったらしい。真脇の縄文人は、丸太船に乗ってイルカをたくさん獲っていたよう。海辺のアイヌと同じですね。墓場に建てられていた3本の木柱列もアイヌ文化っぽい。ヌサに似ている気がする。「真脇の縄文人は平均的な縄文人とは違う」「真脇の縄文人は面長で垂れ目気味」と解説板に書かれています。... 続きを読む
  • 富山県氷見市で最もカッコいい(と個人的に感じる)地名・「触坂」。絶対アイヌ語(=縄文語)の"フレ"(赤い)と関係ある、・・・と気になり続けてはや数十年。初めて現地を訪ねてみました。が、何も赤くない。土も水も赤くない。(触坂の雰囲気)しかし、その上流には「赤毛」というまた「赤」に関連する地名。縄文・弥生時代のこの地域、上庄川流域(久目地区)には、絶対に赤い「何か」があった気がします。(穂が赤い稲が地名... 続きを読む

toidegelato

弥生時代の北陸を統治したお諏訪様と諏訪信仰。北方系縄文人と南方系縄文人の違い。北陸における弥生時代のクニ、縄文から弥生への移行過程などに特に関心あり。