• 砺波市埋蔵文化財センターへ行ってきました。2015年オープンでまだ新しい施設。「子どもにもわかりやすい展示」「いろいろな体験ができる」がテーマで明るい感じなのが良いですね。砺波市が推している「増山城」ファンが全国から訪れているとのこと。富山県を代表する縄文遺跡「松原遺跡」。縄文土器の文様とは、方言のようなもの。縄文人は山の上に多く住んでいた、とのこと。個人的には、河川の近くにも縄文人は住んでいたと思う... 続きを読む
  • 大正13年に出版された富山県内の神社一覧がまとめられた「富山県神社祭神御事歴」を使って、富山県内の市町村別に諏訪社の数を数えてみた。諏訪信仰とは、お諏訪様が北陸を統治していた弥生時代後期(3世紀後半か)、諏訪神人と呼ばれる遊行者によって広められた、といわれている。※ お諏訪様は出雲系の四隅突出型墳丘墓を築いた一族と考えられている。一方、砺波市、南砺市のあたりには弥生時代の遺跡がほとんど無い。【仮説】1. ... 続きを読む
  • 「越中の大昔(地形・アイヌ語)・間方徳松・1981年」を読んで気になった点をまとめてみます。(1) いわゆる「縄文人」と呼ばれる人々には2つの人種があるということが近年DNA遺伝子調査によってわかってきました。富山県には北の縄文人の居住していたようです。で、この「北の縄文人」は現代北海道に住むアイヌと同じ民族であったことがわかってきました。北海道には「~内」「~別」という地名が多くあります。河川、沢(小さな河... 続きを読む
  • 江道(えんどう)横穴古墳群に来てみた。7世紀前半~(飛鳥時代)の有力氏族の墓らしい。隣の集落外れにある「五十辺鍾乳洞」にも行ってみたいが、それはまた次回。こんな感じ。崖に穴があけられている。石灰質砂岩。手で表面をさわっただけで、ボロボロと表面が崩れてくる。飛鳥時代の人たちも手で穴を掘ったのか。隣の集落である五十辺地内では土砂の採掘が行われていて、頻繁に4トントラックが行き来している。墓穴を近くで撮影... 続きを読む
  • 「北陸の大昔(アイヌ語のふる里)・間方徳松・1983年」を読んで気になった点をまとめてみます。(1) 富山県方言に見られる語尾「~や、さかい。」(=~だからね。)や「~や、わい。」(=~です。)といった言葉は、縄文語由来。言語学上も日本各地の方言の分化の程度は1万年以上分ほどに分かれているとわかっている。# 弥生人が日本列島に広まってからの1700年弱の程度では、# 津軽弁~富山弁~薩摩弁のような互いに意思疎通が... 続きを読む

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弥生時代の北陸を統治したお諏訪様と諏訪信仰。北方系縄文人と南方系縄文人の違い。北陸における弥生時代のクニ、縄文から弥生への移行過程などに特に関心あり。