• 「砺波」の地名の由来ではないかと思っている南砺市利波河、井口に来てみた。"ナミ"は北陸縄文語での「川」という意味ではないかと思っている。奈良時代(東大寺領荘園時代)の地名の多くは現代まで残っていない。江戸時代の加賀藩によって管理される前(安土・桃山時代以前)、管理する側の気分次第で、集落の呼び名や地名は簡単に変わったと思う。(戸出の場合、江戸時代初期に "灯油田"→"戸出"と変わった。)また、地元で田んぼ... 続きを読む
  • 戸出の奈良時代(東大寺領杵名蛭荘園)講演会、とても興味深かった。・奈良時代の貴族も農繁期には手伝いで忙しかった。貴族は秋に荘園を訪れていた。(ただし自ら鎌を持って作業したわけではない。)・万葉集、大伴家持の歌に見える「【やぶなみ】の里」は高岡市中田地区にあったのではないか。 (東大寺領荘園石粟村地図に【やぶなみ】は石粟村の北と書いてある。) → 8世紀の井戸が発見されている常国遺跡=【やぶなみ】が有力... 続きを読む
  • 2021/2/28(日)「杵名蛭荘園と戸出の奈良時代」講演会高岡市戸出にあった東大寺領・杵名蛭荘園。金田章裕京都大学名誉教授よりお話をいただきます。高岡万葉歴史館の新谷秀夫課長からは万葉集を切り口にした東大寺や荘園のお話をいただきます。興味あるかたは是非お越しください。https://toide.xyz/kinapiru.html後日高岡ケーブルでも放送予定有(2021/03/27(土)、28(日)AM9:00から放送される予定です)また後日、Youtubeでの配信... 続きを読む
  • 小矢部市の地名の由来。この市名は、1962年(昭和37年)に石動町と砺中町が合併した際に両方の町を流れている小矢部川から採ったのでしょう。で、「小矢部川」の川名の由来は小矢部村のそばを流れている川だから。では、その「小矢部村」の村名の由来は?礪波郡小矢部村は丘の上にあった村。"部"は北陸の縄文語で"川"の意味。"矢"とはおそらく"丘・岸"という意味(洞爺湖と同じ)。川のすぐそばの丘は生活の便が良いので、縄文後期... 続きを読む
  • 北陸の式内社でお諏訪様を祀るのは莵橋神社だけでしょうか。「弥生時代後期、出雲人の息子であるお諏訪様の拠点は小松にあったのではないか」ということで莵橋神社に行ってきました。この神社、もとは台地の上(得橋郷小野)にあったそう。飛鳥時代に加賀国府が設置されたあたりの場所です。弥生時代後期(3世紀後半)から飛鳥時代に国府が設置されるまで、そのあたりがずっと加賀地方の中心であったのかもしれません。加賀国府が... 続きを読む

toidegelato

弥生時代の北陸を統治したお諏訪様と諏訪信仰。北方系縄文人と南方系縄文人の違い。北陸における弥生時代のクニ、縄文から弥生への移行過程などに特に関心あり。